最も貴重な自己リソースの「主権者」になれるか?

思考

世の中には「時間管理セミナー」とか「時間管理術」といった時間を管理にまつわる様々なコンテンツがあります。それだけ時間管理をうまくやりたいというニーズがあるということでしょう。手帳術が定期的に流行るのも同じような理由なのでしょう。しかし、一方で時間管理がうまくいっている人をほとんど見ない気がします。

そもそも多くの人は「何のために」時間管理をしたいのかハッキリしていないのではないでしょうか。一義的には「時間が足りない」という状況を解消したいからなのでしょうが、先日のエントリでもふれたように、それではパーキンソンの法則が発動して結局時間がたりなくなる公算大です。

早起きをして時間をつくるとか、会議を短くするとか、すき間時間を使うという具体個別のハウツーをいくら学んだところで、その上位概念となる「何のために時間を作りたいのか」そして「作った時間で何をしたいのか」が定まっていなければ意味がないのかもしれません。

おそらく、その中間にくるべき概念として「時間のコントロール権を自分にひきよせる」があるのではないでしょうか。自分の思ったように時間を使うことができないから時間管理を行うのであって、時間が足りない気がするから時間管理を行うのではないのです。時間に対する「主権」を持たぬままいくら時間を作ったところで、そこには自分望まぬ予定が入ってきます。

おそらくは、「何のために時間を作りたいのか」かつ、それゆえ「自分の時間の主権を取り戻す必要がある」という部分が認識されることは少ないのでしょう。それが結果として色々なテクニックが氾濫しつつも時間に余裕がある(ように見える)人がほとんど登場しない一つの理由かもしれません。

最も貴重な自分のリソースにもかかわらず「主権」がないというのは恐ろしいですね、、。

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