フラットになったといいつつ情報格差は大きいわけで。

思考

トーマス・フリードマン氏の「フラット化する世界」で指摘されているように、インターネットの普及と中国・インドの台頭で世界の経済は一体化しつつあります。一国の危機が世界を巻き込んでしまうことはここ数年で十分に示されています。

一方で、「フラット化する世界」の出版直後から「いやいや、フラット化なんてしてないよ」という主張も相応に出ています。

おそらくはまだフラット化する途中なのでしょう。特にデジタルなものはどんどんフラット化した世界に取り込まれている感があります。Google、Amazon1、Appleといったあたりはもはや説明するまでもないでしょう。デジタルでかつスケールメリットが働くものはその傾向は顕著です。デジタル家電もいまやグローバルな競争となり日本企業が苦戦しているのは周知の通りです。

一方でデジタルではないものについては、フラット化の影響は今のところは限定的です。通販が伸びてるといっても、まだ圧倒的に店頭取引の方が多いわけで、そこには当然接客をする人が必要です。そのうちテクノロジーを駆使して無人店舗が出てくるのかもしれませんが、買い物をするのが人間である以上やはり人間による接客は残りつづけるでしょう。

あるいは、デジタルのおかげで情報格差は縮小した(=フラット化)ともいわれていますが、解消されたわけではありません。日本国内で考えれば情報は東京一極集中です。ITの世界でさえ、多くのエンジニアは東京で勤務していて、それゆえイベントの開催も東京に集中します。そこでの交流を目的として地方からも人が訪れるのでさらに情報は一極集中します。そこでの情報がすべてネットで公開されるわけでもありませんし、会場でのセレンディピティはネットにはのりません。フラット化をささえる業界ですら東京近郊をはずれると格差を感じるのですから、いわんや他の業界はなおのことと推察されます。

いまのところ世界が均一にフラットになっているというよりは、リソース(人・モノ・金)が集中した局所同士が距離が小さくなっている、というのが実態かと。もともと世界は偏っていたので、それがいくらか緩和されたというところでしょう。

  1. とくにAWS []
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