いろいろなモノが不可視化されていく時代。

思考

筆者は、ときどき目に見える資産とか目に見えない資産という言葉を使っています。この表現を使うと「金融資産は貯金していたり電子化された株券なら目に見えない」という考え方も出来なくはありません。しかし、それは筆者の意図しているところとは違います。その意味では表現というのはすごく難しいものだと感じるのですが、別の表現を考えてみました。

それはバランスシート上に現れる資産かどうか?ということです。

筆者は会計の専門家ではないので、極めて浅い知識しかありませんが有価証券報告書などを眺めてみることもあるので、バランスシートで出てくる項目を”見る”事ぐらいは出来ます。筆者が日ごろ「目に見えない資産」と言っているものはそこには項目として出てきません。無形固定資産という項目はあるようですが、それとも趣を異にするものなのです。

もし、個人でバランスシートを作ったとしても同じことです。資産として載ってくるのは貯金や株・債券、車や自宅といった目に見えるか容易に換金できる資産です。その人の経験や知識、潜在的なポテンシャルというのはどこにも記載されません。

ある意味では、それこそが知識資本の時代の特徴と言えるかもしれません。産業資本の時代においては設備こそが生産の要であり、それらは目に見える「固定資産」として容易に価値を算定できましたし、実際にそこから生産されるモノの価値も概ね予測可能だったでしょう。

しかし、知識労働者が創出する価値は事前に予測可能とは限りませんし、むしろ予測不可能なことの方が多いかもしれません。その価値というのも金銭換算しやすい場合もあれば、非常に難しい場合もあるでしょう。当然、目に見えるモノとは限りません。

これからの時代は色々なモノが「見えない化」されていくのかもしれません。(当然、それを見える化する技術・ビジネスは出てくるのでしょうが)

それは言い方を変えると抽象的な概念に囲まれた世界なのかもしれませんね。

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