消費しているのはモノではなく時間?

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秋の夜長に『第四の消費』を読みながら、これからはモノを所有するという概念が稀薄になっていくのかもしれないな、などと考えました。著書は消費の変化について論じており、なかなか興味深い主張をしています。まぁ過去の意味づけはその妥当性を検証する必要はあるとは思いますが。

最近の若者はクルマを買わなくなった、という話はよく論評でも取り上げられます。あるいは持ち家志向が弱まったという意見もあります。より身近なところでいくと、音楽CDが売れなくなりました。

クルマにしても家にしても、CDにしても、その機能自体の必要性はほぼ変わりません。変わったのはそれを所有すること自体に対する価値観でしょう。クルマは移動手段だし、家は住居で、CDは音楽というコンテンツが必要なだけ。特段、公共交通機関の利用が増えている様子もないですし、もちろんホームレスが激増しているわけでもありません。街に出ればイヤフォンをしている人は多いので音楽を聴かなくなったわけではなさそうです。

ITの世界で考えると、SaaSに代表されるようにアプリケーションを手元に所有するというよりは必要に応じてサービスとして利用する方向に流れています。スマートフォンのアプリも有料アプリはお金は払っているものの所有しているという感覚よりも、利用料を払っているというほうが近い気がします。

お金を支払ってモノを買う行為を消費とよんでいたわけですが、大量生産大量消費が行き詰まりつつある昨今においては、モノを消費するという感じではなくなってきているのかもしれません。CD代が通信費に移行したなんて分析もあったりしますが、それはモノに対してお金を投じなくなったということでもあるでしょう。携帯ゲームだったり、SNSだったり、動画サービスだったりに共通するのは時間が使われるということです。つまり時間が消費されているともいえます。体験型なんんちゃらというのが人気だったりするそうですが、それもある意味では時間を消費して幾ばくかを支払っていると考えることができそうです。

モノを作っている企業にとってはなかなか苦労の多い時代になったのかもしれません。

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