二項対立について考える。

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最近は趣味で受験現代文の勉強などをしています。現代文の読み方もさることながら、題材として使われている評論文もまたなかなか勉強になります。

評論分で多いのが二項対立です。著者の主張したAというもににたいして、反Aという主張と比較しながらAの優位性を主張していくものです。Aという主張だけを繰り返していても読者を説得することは難しいですが、反Aという主張を見せることによってAとのコントラストがよりハッキリと浮かびあがります。それによってAという主張の優位性が際立つようになるのです。

二項対立というのは議論を進める上では大変に便利なものではあるのですが、Aと反Aという二つにわけるというのは、0と1の二つに分けるデジタル的思考に他なりません。当blogでは「本質的にはデジタルよりアナログの方が表現力が高く優れているが、取り扱いにおいてはデジタルの方が使いやすい」という主張を繰り返していますが、二項対立もまさに同じ事がいえるでしょう。

世の中の事象というのは、Aと反Aの二つを比べることで答えが出るほど単純なものではありません。それは二項対立で文章を書いている著者たちも理解しているはずです。しかし、二項対立は一般の読者への訴求力という点ではやはり優れているのもまた事実です。Aに対して、Aとそう違わない何かを複数もってきて比べても、コントラストがハッキリせず読者にその主張は伝わりにくくなります。つまり、あえてAと反Aという二つに絞り込み、その間を切り捨てることでわかりやすさをとっていると考えることができます。

わかりやすさを優先すれば二項対立というのは便利なものです。しかし、おそらく現実世界における落としどころはAでも反Aでもない何かになることがおおいでしょう。その辺は忘れないでおきたいものです。

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