ひずみ。

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今日は震災から一年ということで、多くの方がこの1年を振り返っていることでしょう。
被災はしていなくとも東北出身ということで思うところは多い1年でした。
というわけで、今日はそこに少し絡めつつ世の中を考えてみたいと思います。

このblogでも頻繁に触れていますが、震災は資本主義という現在の世の中のベースとなる価値観の歪みを露呈させた出来事のひとつでしょう。
私たちの生活はかなりの部分が資本主義をベースに行われていることは疑いようがありません。なんらかの方法で金銭的な収入を得て生活していない人々は少なくとも日本では皆無と言えるでしょう。したがって、様々なものが「金」という軸の上で評価されます。直接的な価格がないものも、金銭評価してこの軸に乗せています。しかし、すべての事柄がうまく軸に乗るとは限りません。もちろん、そのことはこれまでも様々な人々により、様々な側面から指摘されています。しかし、震災以後の様々な状況を見るとこの軸に乗り切らずに苦悩している人々が多いことがクローズアップされるように思います。
たとえば、震災直後には非常に多くの人が不便な生活を余儀なくされました。もちろん今もそのような生活を送っているわけです。原発の事故にしても、たしかに金銭による賠償は行われようとしていますが、これまでの生活がもどるわけではなくそこに対する精神的な苦痛や人間関係が失われたことによる損失は計り知れません。資本主義は、ある程度の経済的豊かさが実現された先にある諸問題に対する解決策をいまだ持ち得ていないようです。

地震がプレートどうしのひずみが大きくなると起こるように、いまの資本主義のひずみも日増しに大きくなっているようです。そのひずみに蓄積されたパワーは、数年前から世界中で少しずつ噴出しています。それらを前震ととらえるなら、本震として一気に放出される日は近いのかもしれません。

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