時代が進むにつれて人が余る?

評論

しばらく前に『文明崩壊』を読んだのですが、人間がいかに食糧に依存しているかというのを改めて感じさせられます。人間も動物であることを考えれば至極当然のことではあるのですが、現代の日本のような文明の中で生きていると忘れがちです。

古来から、その土地でどれだけの人間が生きていけるかは、その土地での食糧の収穫量に依存していたわけです。滅びた文明の多くも、なんらかの原因によって食糧が確保出来なくなったわけで、現代においてもそのような危機に見舞われている地域は損座します(詳しくは『文明崩壊』をお読みいただければ)。

人間が自給自足で生きているときは、人々はまさに食うために働いていたわけです。一部の特権階級を除けばほとんどが農耕を営んでおり、それがイコール仕事だったわけです。また農耕にたいしてそれだけの人手を必要としていたわけです。

ひるがえって、日本を含む現代の先進各国においてはもはや自給自足ではないので、食糧と人間の生死はある程度切り離されています。食糧は極限られた人々よって機械を用いた農業で大量に生産されています。人口のわずか数%が農耕を営むだけでその他大勢の食糧が確保されてしまうのです。もちろん国によって自給率は異なるので輸出入もありますが、それでも皆が皆働かずとも食糧は確保できてしまうわけです。

 

そうやって農耕を離れた人々は産業の世界でおもに製造業に従事してきたわけですが、その製造業も自動化が進み人手がいらなくなっています。人件費が安いことをウリにしていた中国で人件費の高騰が起こり、かといって自動化を進めると失業者が多発するというジレンマが生じているのはその一例といえます。

さて、そうなっていくと数十年後、100年後にはどういう仕事が残っているのでしょうか…

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