アンチ定量化。金銭という定量表現さえ評価軸として使いこなせてないのでは?

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「定量化」ってどうなのよ?というのが今日のテーマです。例として金銭を絡めます。

現代のビジネスの世界というか、世の中で重要視あるいは重宝されていることに「定量化」・「ロジカル」・「デジタル」などがあると思います。これらはどれも重要ではあるのですが、そこには扱いの難しさや限界もあるので、ある領域よりも先への発展を目指すならばどこかで放棄すべき概念だと思っています。

今日は、その中から「定量化」について考えてみます。

人間の価値観は多様ですから、「良い」・「悪い」だったり「高い」・「安い」などという価値判断は、同じモノをみても人によって異なります。そこで必要とされるのが定量化です。

物事を数値で表現して、数直線上にプロット可能にする。そうすることで一次元での判断になるので、そこに多様性は存在し得ません。価値観の多様性というのはそもそも、軸の取り方が人それぞれで次元が大きくなることを意味するのですから、定量化により次元をしぼったらその多様性を制限することが出来るわけです。

ただ、次元を絞るということは情報量を失わせるということなので、軸の取り方を間違うと必要な情報まで失われることには要注意です(往々にしてたいして意味の無い定量表現が生じるのはここに起因すると思います)。

とはいえ、この定量化という行為により、多様な価値観を持つ人が集まってもひとつの評価軸で物事を評価出来るようになります。

では、定量化したらほんとにちゃんと物事を評価出来るのでしょうか?

ここで、金銭価値という定量化を考えてみます。さまざまなモノに対して価格という金銭価値で定量化することで、価格で比較できるようになることが金銭価値という定量表現の強みです。

でも、人間は意外と金銭価値をうまくとらえられてないのでは?と思います。

例えば、100円ショップである商品を買うか買わないか悩む、という行為。あるいは、10円、20円安いものを求めて少し遠いスーパーに足を伸ばす行為。このような行為は誰しも経験があるのではないでしょうか。

では、120円の飲料を買うときに自動販売機で買うか買うまいか悩むでしょうか?コンビニで150円のお茶を買うときに悩むでしょうか?おそらく、意外となんの躊躇もなく買っているのではないでしょうか。

「お金に色はない」という言葉の通り、100円は100円であり、それ以上でもそれ以下でもありません。であるならば、100円を支出するときには常に同じだけの配慮(迷い・検討)を持たねばならないはずです。にもかかわらずそうなっていないということは、せっかくの定量表現をうまくつかいこなせていないというこです。

 

まぁ、金銭がからむと「心の会計簿」という力が色濃く働くので、上記のようなことは多々生じるのですが、金銭に限らない定量表現でも同じようなことをしていないかはよく考えてみる必要があるでしょうね。

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