最近は「意識高い系」なんて言葉があったり、いろいろな勉強会のコミュニティが形成されたりしていて、学ぶことに余念がない方が増えているのかもしれません。ところが、それがどれほど成果としてあらわれているかというと、甚だあやしいところです。
何事も学んだだけでは成果になりません。当たり前ですが、行動するときに学びを適用してはじめて成果があがります。つまり、行動することが前提です。場合によっては、行動してから学ぶ方が効率は良いのかもしれません。というかたぶんそうなのです。
行動してから学ぶ場合、それなりに必要性に迫られて学ぶわけなので、アンテナの立ち方が違うはずです。同じことを学んでも吸収力が変わってくるのです。また、すぐに応用するでしょうから、体得するのも早くなります。つまり学びの歩留まりが向上するということです。
学びというのは極めて主体的な行為です。それも単に自らの意思で学びに行くという行動的側面だけでなく、目にしたものからいかにして学びを得ようとしているか、という取り組み方の側面での主体性が必要です。
高尚なコンテンツを見たり聞いたりするから学べるのではなく、そこから学びを引きだそうという姿勢があるから学べるのです。そういう意味では、なんであれ学びを得るチャンスが潜んでいるというわけです。
もちろん、コンテンツが良ければ潜在的には学べる可能性が高いのですが、主体性がなければそれを吸収することができません。逆に、コンテンツとして体系化されていない場合でも、主体性があればそこから学びを引き出すことは十分に可能でしょう。
やはり、七つの習慣における第一の習慣:主体性を発揮する、というのは重要なのだと再認識させられますね。