有限たる世界において選択するとはイコール捨てること。

ほぼエッセイ

就職してサラリーマンとなり、結婚して子どもをもうけ、住宅ローンでマイホームを買う。日本人男性にはよくあるキャリアです。それが良いか悪いか、価値観的に合うかどうかは別にしても、そう仕向けるように各種の制度設計がされているのも事実です。

こういった世の中的にある種既定路線となっている道を進んでいるときに、それを「選択」しているという意識をどれだけ持てているでしょうか。もし、なんとなく世間に流されているのであればそれは怖いことかもしれません。

というのも、「選択」するということは「捨てる」こととほぼ同義だからです。

一度きりの人生で、時間が有限である以上、複数のキャリアを同時に生きることは出来ません。年老いてから再び、というのはあるかもしれませんが、冒頭のよくあるキャリアを歩んだ場合、それ以外のキャリアを同時に歩むことは出来ないのです。パラレルワールドがあれば別ですが、仮に存在していても我々には認識出来ていないので考えても詮無きことです。

つまり、あるキャリアを「選択」したならば、別なキャリアを「捨てて」いるのです。当たり前のような話ですが、いまの人生が自らの「選択」と同時に「捨てた」結果だと認識している人がどれだけいるかは疑問です。

なぜなら、「捨てた」はずの別のキャリアに思いを巡らせ後悔する人が多いように思われるからです。

もちろん、この現象はキャリアに限った話ではありません。周囲の多数派、あるいは既定路線になんとなくしたがった結果、あとから「こんなはずではなかった」という例はほかにもあるでしょう。

つまるところ、人生とは「選択」の連続であり、それはとりもなおさず「捨てる」ことの連続でもあるのです。いま、この瞬間も何かを「選択」し、何かを「捨てて」いるのです。

それをゆめゆめ忘れぬよう生きていきたいものです。

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