価値観と「何によって憶えられたいか?」の関係性。

ほぼエッセイ

価値観というのは人それぞれ固有であり、文化的な背景なども影響するのでなにが良くて何が悪いという優劣のつくものではありません。世の中に害をなすのは論外ですが、そうでなければ人それぞれの価値観があって然るべきでしょう。

何を大事と考え、何を優先するかがイコール価値観です。つまり生きている限り毎分毎秒行われる判断の礎となるのがその人の価値観ということになります。同じ局面であっても、価値観の異なる人間が判断を下せば、全く別の対応をとなることもあるわけです。

価値観などというと少々仰々しいですが、「何によって憶えられたいか?」という視点で考えてみると多少は身近になるかも知れません。価値観がその人の判断において礎となるならば、その人の行動には価値観が色濃く反映されるはずです。つまり、価値観が行動として具現化されるのです。そして、人々はそれを見てその人がどういう人かを認識します。よって、何によって憶えられるかと、その人の価値観はかなり密接にリンクすることになります。

このように考えると「何によって憶えられたいか?」という問いは非常に根源的な問いであることに気づかされます。一見シンプルに見えるものの、実際にはその人の奥深くをえぐる深い問いです。

そういう深い問いに端的に答えられる人間になりたいもののです。

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