お金がないと学べないのか?

思考

日本において中学校までは義務教育なので、万人共通に学ぶ機会が与えられます。一応、高校は無償化が行われましたが、大学(高等教育)は今のところ相応のお金がかかります。社会人になると学びの場に行くにはお金がかかることが普通です。

では「お金がないと学べないのか?」

有料の教育サービスが存在する以上、この命題は「偽」にはなり得ませんが、「真」なのかというとそうでもありません。

何を「学び」と定義するかという問題はありますが、新たな気づきを得てそれを自分の生活に応用するのが目的であれば、学びの場はそこかしこにあります。

例えば、グリーン車に乗ってみたとして、何も考えなければ『快適だなぁ』と思って終わりです。しかし、「何が快適さを生み出しているのか?」を考えて観察する目を持てばいろいろと気づきがあるはずです。そして他人に快適さを提供するには何が必要かを身をもって学ぶことができるでしょう。高級ホテルやファーストクラスも同じことが言えるでしょう。

そもそも無料であることにこだわるのあれば、日々送られてくるダイレクトメール(DM)からも気づきは得られます。DM(e-mail含む)は人に購買行動やURLクリックを促すための手段です。したがって、行動を起こしたくなったのであれば、そこには人を動かす何かが含まれているということになります。それは、他人を文章で動かしたいときの参考になるに違いありません。あるいは、優秀な接客業の店員さんや営業の人からセールスを受けることも、視点を変えれば学びになるはずです。

これらの例は、人間の知識・知恵が投入されて作られているものです。であれば、そこにはノウハウが蓄積されていると考えて相違ないでしょう。その気になりさえすれば、そういったノウハウをパクることが可能な世界に我々は生きているのです。

つまるところ、学べるかどうかは意識の問題ということになります。いくら高い教材や学校に通ったとしても、意識が低ければたいした学びを得ることはできないのです。

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