立場が上だと錯覚して訳知り顔するのは恥ずかしい。

思考

ぼちぼち学生さんの就職活動が本格的に動き出す時期となりました。それは企業側からすると採用活動が本格化するという意味でもあります。新聞や雑誌などでもそういった話題が増えてきます。

採用する側の人間が学生時代を経験しているのに対して、採用される側の人間は企業人を経験していないので、そこにはどうしても情報の非対称性が生まれます。情報化時代においてそれは採用する側とされる側のパワーバランスに大いに影響を与え、採用する側が強者となるのは明らかです。

ただ、注意したいのは力関係が生まれるのは企業人の体験をしたことがあるかないかの一点のみで、それ以上の何かではありません。

既存メディアの「中の人」はもちろん企業人ですから、無意識のうちにか強者の視点、つまり上から目線でものが語られます。インターネット上においても大多数の人間が企業人であることからやはり上から目線の意見が大半です。ここにおいては既存メディアとネットに見解の相違はありません。いわく、「ゆとり世代はエントリーシートもろくに書けない」だの、「最近の学生はマナーがなってない」だのと始まりますが、それは数千年前から存在している「最近の若者は…」論とたいして変わりません。漢字がろくに書けない企業人は多いですし、マナーの悪いビジネスパーソンもたくさんいます。

ここで指している企業人とはサラリーマンであり、人事部といえどサラリーをもらっている組織の歯車に過ぎないわけです。まして、外野から意見を言うサラリーマンは飲み屋に行けば会社の愚痴を言っているような人も多いわけです。

企業とは営利団体なので、その枠組みの中で優れているかの基準は端的には稼げるかどうかです。この基準においては採用する側が優位だとは限りません。現代において稼ぐ力が優れているのはむしろ若い学生かもしれません。そして、稼ぐ力のある人間は引く手あまたになりますから、むしろ学生側が優位ということもありえます。

つまり何が言いたいかというと、自らが企業人であるという理由だけで学生に訳知り顔な言葉をかけるのは恥ずかしいし、下手をすれば滑稽ですらあるからゆめゆめ気をつけるべきだと。もちろんそういった構図は採用という場面には限らないので、なんらかの理由で非対称性のある状況ならいつでも気をつけようという自戒でもあります。

タイトルとURLをコピーしました