読書とは具体を抽象に再展開すること。

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筆者は断捨離のうち特に捨てるのが苦手です。「そのうち役に立つんじゃないか」という考えのもと、ついつい捨てずに放置してしまいます。最近の悩みは蔵書の増加量です。今日はそんな蔵書について。

良書とよばれる本は読めば読むほど様々な気づきがあったり、歳月を超えて読み直すことで新たな発見があったりするわけですが、大多数の本は一度の内容を租借してしまえば十分だったりします。とはいえ、参照用ということで蔵書として保存するわけですが、実際に読み直すことがあるかというとそれは甚だあやしいものがあります。

ところで、本というのは活字で表現されていますから、それは具体化された知識であり主張です。著者の無限とも言える思考空間を活字という有限世界に落とし込んだものです。それを読む読者は活字を解釈して再び無限なる思考空間へと再展開します。もちろんこのときに著者と同じ思考に展開される保証などどこにもないわけですが、極端な曲解でもない限りはそれはそれで意味のあることでしょう。

そんなわけで、本の活字を読み取ってその概念が脳内に抽象概念として再展開されたならば、本のエッセンスは吸い上げたことになるので蔵書として保存すべきかどうかは微妙なところとなります。具体例やデータの参照用としては役に立つこともあるでしょうが。

冒頭に上げた良書というのは、読み返すごとに別な抽象概念に再展開されるような本です。そういった本は概して読む側にも相応の経験や読書力が求められるものも多いので、歳月を超えて読み直すことでまた新しい展開の仕方が思いつくのでしょう。

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