デジタルがコモディティ化したのちはアナログへの回帰?

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日本の製造業はここのところ元気がないというのは、薄型TVを作っているメーカーの赤字を見れば否定し得ない事実でしょう。失われた20年などと言われますが、それ以前には日本の製造業というのは世界から賞賛される存在だったわけです。なにがそんなに潮目を変えたのでしょうか。

よく言われることではありますが、デジタル家電の世界は参入障壁が低いのでコモディティ化しやすいというのがあります。デジタルとは離散値でありそれは連続値であるアナログでしか表現できないものを切り捨てている、という主張はこのblogでも幾度かしています。つまりデジタル家電では暗黙知が幅を効かせることは難しくなりますから、長年の蓄積というのが役立ちにくいということでしょう。

そのようなコモディティ化しやすい世界では果てなき価格競争に巻き込まれるか、強引なる高付加価値路線へと転換するかの二者択一に迫られます。とはいえ、何かを切り捨てて妥協したデジタルの世界で高性能・高機能を追い求めたとしても、しょせんは妥協した世界の中での戦いなので限界がでてくるのも当たり前なのかも知れません。それは技術的にそれ以上が難しいというよりは、消費者の側がある一定のクオリティが担保されればよいと考えるということです。テレビの画質がこれ以上よくなっても魅力を感じないとか、パソコンがこれ以上速くなっても魅力を感じないという消費者は増えつつあるはずです。

ある意味では満ち足りた世界で成功しているのは、見た目の性能向上を狙っていない企業なのかもしれません。どうしてもITの世界だとGoogleやAppleの話になってしまうのですが、どちらの企業も一見して分かるような部分の性能向上を声高にはアピールしません。Googleの検索エンジンは日々精度をあげているはずですし、Gmailの最大容量も毎秒のように増えていますがいまやそれが最大のPRポイントではないでしょう。AppleのiPhone5も新iPod touchもハードウェア機能は実は大幅に向上していますが、CPUの周波数がいくつだとかメモリがいくつになったとかいう表現は使っていません。それで何が出来るようになったのかが宣伝されています。

つまり、「体験」がどう変わるのかというところにフォーカスされているのです。検索精度があがるとか、アプリがサクサク動くというのは主観の入り交じる定性的な感覚です。裏を返せばそこはまた人間のアナログな感覚だということになります。

結局のところ、アナログから完全に離れることは出来ないのかもしれません。

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