学びとはオプション取引のようなもの。

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昔の記事で、最も有効な投資先は自分自身と書いたような気がしますが、今日もその関連で。

 

筆者の気に入ってる言葉の中に「すべての学びは前倒し」というものがあります。もちろん自分で考え出したのではなく、とある方のお言葉をTTP(「徹底的にパクル」の略)させていただいたのですが。

学びというのが投資行為だと考えるならば、前倒しするのも至極当然といえます。金融投資であれば資金を投下した直後から下落局面に入り損失を抱えるということもありえますが、学びであればその損失がどんどん拡大していくということはありません。損失が出るとするならば、学びに投じた時間と資金が永遠にリターンとして返ってこないことがあるぐらいでしょうか。そう考えると、あらかじめ最大損失を確定させた上で投資するオプション取引のようなものかもしれません。しかも、権利行使期間が生きてる間中ずっとという商品特性をもちます。場合によっては何度でもリターンを得ることができるという特性も考えると、株における配当金のようなものがついてくることもあるといえます。

最大損失があらかじめ確定できるのであれば、そこに全く投資をしないというのは機会損失が発生する可能性があるということです。であるならば、余剰資金はともかくとして、余剰時間があるならばどんどん投資してしまえばいいと思うのは筆者だけでしょうか。もし、リターンが得られなくとも、なんとなくyoutubeでも見て時間を無為に過ごしたと考えればそう変わらないのではないかと。

 

学びを投資と位置づければ上述のような主張になるのですが、そもそもせっかく人間でかつこの豊かな時代に生まれたのなら学ばないのは損なのではないか?とも考えられます。産業革命以前というのは、そもそも学問自体が金持ちの道楽だったわけです。人々はみな日々の暮らしに必死だったので、一部の裕福な人やパトロンを持った人だけが学問に興じることができたのです。それはある意味では現代でも変わらず、貧困にあえぐ地域に人々は満足に学ぶことすらできません。そう考えると、リターンなどという実利以上に学びを行える環境にいるということ自体が幸せなのかもしれません。

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