「名目」と「実質」、それらをつなぐ概念的処理。

ほぼエッセイ

携帯電話を買おうとすると「実質0円」という表記をよく目にします。端末代金は5〜10万円なのですが、それを24回払いで払うことにして、同額を通信料金から割り引くことで支払いを相殺していき、2年間トータルで考えると0円というもでるです。まぁ、2年使わないと面倒なことになるのでトラブルの元ではありますが。

「実質」の対義語は「名目」です。携帯電話の例で言えば、端末代金として書かれている数万円という数字が、名目端末代金です。そして0円というのは「2年間使い続ける」という条件を適用したときの実質端末代金です。

基本的に「名目」が先であり、「実質」は名目に対してなんらかの(概念的)処理を施した結果です。名目は目に見えることが多いのですが、実際上の意味を持つのは実質の方が多いでしょう。

名目と実質は身の回りの様々なことに適用してみることができます。

ここでは、(特に学びを目的とする)読書について考えてみます。読書における「名目」として、○冊の本を読んだというのがあげられます。冊数が多ければ多いほど、名目的にはより多くの学びを得ているように見えますが、実際はどうでしょう?

学ぶという観点からすれば、「実質」として1冊読む毎にどれだけの学び引き出せているか?ということを考える必要があるでしょう。いくら、名目として沢山の本を読んでいたとしても、単に読み流しているだけで何の気づきも学びも引き出せていないのであれば、それは実質読んで無いのと同じです。むしろ時間を無駄にした分がマイナスです。別な言い方をすれば、本に書かれている内容のうちどれだけを自分のものに出来たか、つまり歩留まりが重要です。

今回の例で考えると、歩留まりを加味することが「名目」と「実質」の間にある(概念的)処理といえるでしょう。

「名目」と「実質」、それらをつなぐ(概念的)処理、そういったことを考えながら世の中を見つめてみると新たな発見があるかも知れませんね。

タイトルとURLをコピーしました