思考のアウトプットというのはわき水みたいなもので。

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湧水というのが、いつか降った雨(雪)だというのは誰しもが知るところですが、ではいつの雨かといわれても正確なところはわかりません。降った雨はいずれわき出るかもしれないし、そのまま川に流れてしまうかもしれません。

人間には朝起きてから夜寝るまで大量の情報が流れ込んできます。TVで見たものや活字として読んだものに限らず、いろいろなものを日々、見聞きしているわけです。そしてその大半は川へそのまま流れて海へ注ぐがごとく忘れていきます。実際に脳の中へ浸透して蓄積されるものはごくわずかです。

では、吸収したものがわき水のようにアウトプットとしてわき出るタイミングはいつか。それは予測できるものではありません。少なくとも、良質なアウトプットほどインプットから相応の時間をおいて出てくるものであろう気はします。インプットもないのに強引に地下水をくみ上げるかのようにひねり出すことは多少の間は出来るかもしれませんが、いずれ枯れてしまうことでしょう。逆に大量にインプットを与えればすぐさまわき出てくるかというと、そういうわけにもいかず、下手をすれば脳にしみこむことなく忘却ということもあり得ます。

インプットはし続けなければいずれ枯れてしまう、さりとていつアウトプットが出てくるかは自己の裁量の範囲外というなんとももどかしいものです。

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