定量表現の限界。もちろんいつものアナロジー。

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社会人になると研修などで「定量表現を盛り込むようにしましょう」などいうのがよく出てきます。定量の対義語は定性です。「100点満点で70点」というのが定量表現で、「結構いい点数だった」は定性表現ということになります。あるいは、「何月何日まで」と「なるべく早く」というのもそうでしょう。今回はこれを論じます。

当blogでは二項対立を使ったアナロジーを多用しますが、今回もそのパターンです。結論を述べてしまえば、デジタル・アナログ議論と同じ帰結になります。本質的には連続値であるアナログが表現力豊かなのに対し、現実的に離散値であるデジタルのほうが扱いやすいがゆえに優れているかのように思われる。デジタルの弱みは離散化するときに情報を捨てていることでした。では、定量表現はどうか?

例えば定量表現の代表である百分率を考えてみます。何%あるいは何割という表現です。それは達成率だったり伸び率だったりいろいろですが、ビジネスでも様々なシーンで使われます。百分率というのは割合ですから、対象となる数を母数で割っています。もちろん割り切れるとは限らないですから小数点以下何桁も続くことがあります。しかし、それを支障の無い桁で四捨五入するなどして丸めます。そう、ここで情報が捨てられているのです。

もちろん、実務上問題が出ないレベルだから切り捨てや四捨五入をしているので、それがすなわち悪ではありません。アナログTVがデジタルTVになって画質がキレイになったように、極一般のレベルでは優れているからそうしているのです。実際、立場や経歴などが違う人同士が話をするときにおいて、定性的表現は主観による解釈で誤解が生まれやすいですから、定量表現は主観による思い違いが比較的おきにくく、時間が経過しても解釈が変わりにくいという点では当然に使用されるべきなのです(「比較的」であるところは注意です。)。それはロジカルなコミュニケーションが推奨されるのと同じで、バックグラウンドの違う相手により正確にこちらの意図を伝えようとするときのベターな選択肢です。

ただし注意すべきなのは、定量表現だけですべてを伝えられると盲信してはいけないということです。具体論を語るうちはいいですが、ビジョンだったり信念だったりを語り出したらどうしても抽象論が入ります。そのような深い本質を語るときには定量表現できない何かが必要でしょう。

言語にできるものが思考の部分集合なのだとしたら、定量表現は言語の部分集合なので、あたりまえといえば当たり前かもしれませんが。

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