Beingが決まらないからDoingもHavingも決まらない。

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近頃、人生に迷える筆者でございます。

 

人間の迷いの一形態に、「自分はどうすればよい?」というのがあります。これはDoingです。何をするのがよいのか?何をするのが正しいのか?どちらもDoingです。しかし、この迷いは簡単に答えは出ません。そもそも、BeingがなければどんなDoingがよいのか判断することができないからです。つまり、何がしたいか?というのは、そもそも自分は「どうありたいか?=Being」によって導かれるということです。

ドラッカーの著書にある言葉でいえば、「何によって憶えられたいか?」という問いに答えることが自らのBeingを決めることになるでしょう。あるいは、『7つの習慣』の「目的を持って始める」の章には、自分の葬式にはどんな人に参列してもらいたくて、どんな弔辞を読まれたいのかといったことを考えよ、という例が示されています。これも自らがどういう人間でありたいのかということで、Beingと考えられるでしょう。Being=目的だとするならば、そのために行うべき行動=Doingも決まってきます。

 

人間というのは目に見える表層的な部分に意識がいきがちです。何がほしい?というHavingなどは最も考えやすいため、目標を持てといわれると「年収1億」などというのがありがちです。しかし、どんなにお金を持っていても、DoingもBeingも定まっていなければおそらく幸福感は大して得られないのではないでしょうか。もちろん持つものを持ってみたら、何をすべきで、どうあるべきがわかってくるということもあるでしょう。

HavingからDoing、そしてBeingと進んでいくのが積算思考なのだとしたら、先にBeingを定めてそれにあわせてDoingやHavingを考えるというのは逆算思考といえるでしょう。先の7つの習慣の例でいえば、「目的を持って始める」というのは目的志向以外のなにものでもありません。

Doingが決まらないときというのは、そもそもBeingが決まっていない・わかっていないことが多いのではないでしょうか。そして、Beingが定まればDoingというのは自然としぼられてくるように思います。

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