安直な一般化には気をつけよ。

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タイトルは、over generalizationという言葉をもとにつけました。本日、筆者がまなんだことです。

 

本当は文理は問わないのかもしれませんが、少なくとも筆者の知る限り理系の人は「一般化」というものを重視する人が多いです。それは、科学が事象をいかに一般化するかの繰り返しだということを学んできていることも一因でしょう。数学においても、いかに一般化するかというのが一貫してテーマとなるので、理系の人が一般化を重視することはむしろ必然といえるかもしれません。

 

一般化を行うときは、具体例をいくつか集めてきてそれらに共通する部分を抽出し、法則を見つけ出すという手順を踏むことが多いのではないでしょうか。この手順は帰納的です。もちろん、演繹的な手法を用いることもできますが演繹的に導かれる帰結というのはあまりに当たり前に思えることばかりで、少々実用度に欠けるのです。したがって、たいていの一般化には帰納的な手順が含まれることが普通です。

ただ、帰納的な手順というのは論理としては若干の飛躍が存在しているのです。だから、時に間違うことがある。

ちなみに、数学的帰納法というのは「帰納法」という単語が入っていますが、演繹です。だから、数学的帰納法による証明は一度成立したら前提条件(仮定)が間違っていない限り覆ることはありません。

一方で、ここでいっている帰納的というのはそうはなりません。いい例が古典力学でしょう。ニュートンの考えて古典力学は量子レベルや宇宙レベルにならない限りにおいては、うまく説明できる一般化です。しかし、量子の世界だったり宇宙レベルの話になると通用しなくなってくる。それを、いまでは相対性理論だったり量子力学でカバーしている。

 

「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、一を聞いただけで一般化して十を知ろうとするのは危険です。そこにはover generalizationの危険性があるからです。ある例では当てはまっても、ある例では当てはまらないことがあるかもしれません。一般化の力は大きいのですがそこにいたる道筋には気をつけねばなりませんね。

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