自由研究って無茶ぶりにもほどがあるかと。

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8月も終わろうとしていますね。関東より西では夏休みは8月いっぱいというところが多いでしょうから、今頃は夏休みの宿題が大詰めというちびっ子たちもいるのでしょう。

筆者は大学時代に学習相談をうける企業でアルバイト講師していたことがあります。毎年この時期になると中学生や、小学生のお子さんを持った親御さんから「自由研究が終わっていないのですが何をやるのがいいでしょうか?」という相談が舞い込んだものです。

実のところ、筆者自身も小学生や中学生の頃は自由研究なんてなにをやればいいかわからないし、アイディアもわかない生徒でした。しかし何もやらないわけにはいかないので、何となく理科系の工作をして持って行ってお茶を濁すということをしていました。

自由研究というものの意味が筆者なりに理解できたのは大学時代も後半になってからのことです。言い換えると大学で研究室に所属してやっとわかったのです。

研究というのは何らかの対象に対して考察を加えるだとか、課題を抽出してその解決策を提示してみると、そういった類いのことをやるわけです。つまり問題設定を自分でするわけです。

しかし、高校までで行う学習では問題は解くものであって、作るものではありません。教科書の他に問題集なるものが渡されてせっせと問題を解くというのが日本の初等・中等教育の標準的な姿でしょう。日常の授業や学習がそうやってすすんでいるのですから、自由研究をするために自分でお題=問題を考えなさいといっても無理な話です。したがって、夏休みの自由研究に頭を抱える小中学生が続出するのも無理からぬことです。

問題抽出力というのはもちろん重要なのでどこかで養うべきではあるのですが、それをふだんの授業で習いもせずにいきなり自由研究でやってみろというのは無理があるでしょう。夏休みという長い時間は確かに自由研究には適してします。しかし、それを意味のある活動にするためには常日頃から「問題を作る」ということを学校で学べないと、結局はいたずらに小中学生の頭を抱えさせるだけで終わってしまう気がします。

 

 

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