分水嶺を超えて、成果の海へ注げ。

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このblogもどうやら今日で100日を迎えるようです。毎日blogを書くというこの習慣もひとまず定着の兆しを見せてきたかと。そんな習慣化の話と分水嶺をリンクしてみます。

 

水は高いところから低いところへ流れるのは周知の事実です。では、日本の国土へ降った雨が日本海へ流れ込むのか太平洋へ流れ込むのかはどこで決まるのか。その境目を中央分水嶺(中央分水界)と呼びます。日本の多くの地域で太平洋側と日本海側は山脈で隔てられているので、中央分水嶺は山脈の稜線上にあります。つまり高いところは標高数千メートルなわけですが、一方で標高数十メートルの分水嶺もあります。

 

人間も水と同じように楽な方へ楽な方へ下っていきます。ただし、人間は自分で動くことができるので山を登り分水嶺を超えることで別な方向へ変えることも不可能ではありません。

怠惰と呼ばれる海へ注ぐ水系に乗ってしまえばあとは惰性でいけば堕落の一途。もし、成果の海へ注ぎたいと思うならば、分水嶺を超える地点までは自分で行かねばなりません。分水嶺を超えてしまえばあとは惰性でも成果の海へと注いでいく。

中央分水嶺が数千メートルから数十メートルまで差があるように、人間の習慣の分水嶺も習慣化の仕方によってそのハードルの高さはまちまちなのではないでしょうか。どうせなら、もっとも低い分水嶺をめざして上っていき、さっさと分水嶺を超えてしまう。あるいは最初から成果の海へ注ぐ水系からスタートすることを目指す。そんなやり方が重要なのではないか。そう感じた100日目でした。

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