格差社会。

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格差社会という単語を聞くたびに思い出す逸話があります。

豊かであるか、貧しいかは1人あたりGDPが1日あるいは1年で何ドルであるかを元に議論されます。
さて、ここに自給自足生活を行っている民族がいたとします。彼らは、自給自足生活をしているのでもちろん金銭的収入はありません。労働による収入という概念もなければ、ものを売って貨幣を得るということもありません。したがってGDPは0ドルあるいは存在しないということになります。これを、果たして貧困と呼ぶのかはわかりませんが、さらにその先を考えてみます。
そのような民族に多少なりとも現代の資本主義が導入された瞬間に非常に小さなGDPが創出されるようになります。おそらくそれは、貧困と呼ばれる値に相当するでしょう。それでも、生活のほとんどを自給自足でまかなえているうちはそれでもその民族は困らないでしょう。
しかし、さらに資本主義の導入が進み、食料や生活物資などを貨幣を通じて手に入れるようになったらどうなるでしょう?ものを買う貨幣が得られなければ生活が立ちゆかなくなりますから、生活が苦しい程度の収入しか得られなければ名実ともに貧困と言える状況が出来上がります。

この逸話をどのようにとらえるかは人それぞれではあると思いますが、非常に示唆に富む話ではあると思います。果たして資本主義が人類を幸せにするのか?資本主義という評価軸が最もふさわしいのか?物質的(資本的)豊かさは人間の幸福とはどのように関係するのか?

資本主義については資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるかにも非常に示唆に富む話が多く書かれていますので、また考えてみたいと思います。

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