「思考」とは源泉掛け流しの温泉に似たり。

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人は一日に万単位の数の思考をしているという説があります。一方で、今日考えたことのどれだけを覚えているでしょうか。

考えたことどころか、何をやっていたかさえ詳細には思い出せないこともあるでしょう。あるいは毎秒毎秒の視覚情報をどれほど覚えているでしょうか。

 

昔読んだ本に、「脳は忘れる方がデフォルトなのだから、覚えられないのはあたりまえ」という趣旨の話がありました。人間は毎秒毎秒なにかを忘れて生きているわけです。

つまり、考えたことも数秒たてば忘れてしまう儚いものです。

 

そのように考えると、思考というのは源泉掛け流しの温泉のように贅沢なものなのかもしれない、と思ったのです。先日、「時間というのは源泉掛け流しの温泉のようなもの」という表現を聞いてなるほどと思ったのですが、人間の思考というものもそう変わらないと思うのです。確かに、時間はタイムマシンでも発明されない限り一度過ぎ去れば絶対に戻れないのに対して、忘却した思考はもしかすると思い出すこともあるかもしれません。

そうはいっても、短期記憶の大きさは人によらずほぼ一定なので、一度に考えられる情報量というのが毎秒毎秒増えていくとは思えません。すると、ほぼ毎秒のようにあふれ出る思考はどんどんと脳から溢れて忘却の彼方へと流れ去っていく。これは、まさに湯船に注ぐ源泉が溢れ出す光景に似ているのではないかと思うのです。脳内にとどまる一部の水(思考)がある一方で、どんどんと溢れていく。

この記事を書くために考えていたことさえ、文字に載らなかった部分はすでに忘却の彼方です。

 

思考というのは実に贅沢な存在なのです。

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