スループット至上主義で。

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アウトプットの仕方をどうとらえるかは人それぞかとは思いますが、スループットで考えるのがよいのではないかと感じます。

 

日本は、労働時間が長いことこそが美徳という観念が未だに支配的な企業もあるようです。労働時間の長さがアウトプットの量の増大や質の向上につながっているのであればそこまで問題は無い(長時間労働そのもの問題は残ります)のですが、つながっていないケースも多々あるのではないでしょうか。

労働時間を長くすることでアウトプットの量が増大させるには、単位時間あたりの生産量が労働時間の増大とともに減少するとその効果は減退します。しかし、人間はそもそもそんなに長時間にわたって生産性を維持できるるのでしょうか。甚だ疑問です。それが不可能であるならば、労働時間の増大とともに単位時間あたりの生産量は減衰するので、時間ほどにはアウトプットの量は増えません。

質に関しても同様のことがいえるでしょう。むしろ、質の方が影響が大きいかもしれません。1日の中で働けば働くほどより質のよい仕事が出来るという人にお目にかかったことは記憶の限りではありません。

 

とすると、やはり労働時間は適正な範囲に収めるのが生産性の観点からも望ましいでしょう。というか、そもそも法律などよってにも一定の制約が存在しているわけですけど。

労働時間をある程度の範囲で収めて、かつアウトプットの量と質を維持するためには、単位時間あたりの生産量を向上させるよりほかありません。つまりスループットの向上です。

この考え方は非常に重要だと、個人的には思うのですが、こと日本においてこの概念が取りざたされることは非常に希に感じられます。それが日本の文化なのか、実はたいして重要ではない概念ではないのか…。

 

つまり、何が言いたかったかというと、残業は最小限にしてさっさと帰ってほかに生産的な事をしようという決意表明なわけです。と、いいいつつ今日も深夜帰宅…。。。

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