情報の扱いが簡単になった先ってどこにいくのだろう?

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筆者はよく、ITを自動車との対比で考えています。ペーパードライバーで自動車を運転することがない筆者にとっては文明の利器の象徴としてちょうどよいので。

自動車の黎明期にユーザー(つまりドライバー)がどの程度自動車の内部構造を理解して利用していたのかはよく知らないのですが、少なくともAT車はなかったので皆がマニュアル車の運転は出来たはずです。いまや、ほとんどの車がオートマチック車なので、車の運転はアクセル、ブレーキ、ハンドルの操作が主というシンプルなものになりました。黎明期には内部構造をそれなりに知っていて当然だったでしょうが、それは一部の専門家だけがしっていればよい時代になりました。
パソコンも20年前ならそれなりの知識がある人だけが使いこなせるものでしたが、いまやほとんどの人がパソコンあるいはスマートデバイスでネットやメールを当たり前のように使います。それがどう動いているかなどほとんど知る必要はありません。

テクノロジーが科学技術の上に立脚していて、科学がより複雑化・細分化しているならば、現代のテクノロジーは非常に複雑なはずです。にもかかわらず、車の運転が簡単になり、スマートデバイスでネットやメールが出来る。つまり、内部的には複雑さは減るどころかむしろ増えていても、ユーザーには非常にシンプルに見えるわけです。

IT全般をみたときに、確かにネットとメールを使う敷居はかなり下がったように思えます。しかし、情報そのものの扱いは簡単になっているのかというと、まだそうはなっていない気がします。もっと簡単にする余地はありそうだと。
しかし、ビッグデータというバズワードを聞くにつけ、そもそもそんなに多くの情報を扱って何がしたいのだろう?という疑問も感じます。

あるいは、計算機自体がそうであったように、技術があってはじめてニーズが出てくるということはあるので、使い方はこれから見つかるのかもしれません。

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