ほぼエッセイ

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たとえ世間が祝賀ムードであろうとも、最低限のことは淡々と。

年末年始、とくに年始になると祝賀ムードで世間の空気感は特有のものになります。お正月を祝うという日本文化はそれとして価値がありますし、四季折々の過ごし方というのも古来から続く伝統です。とはいえ、それに流されるだけでいいのかは考えどころです。人...
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専門家と素人の違い。

「専門家」という言葉がありあますが、資格によって担保される専門家はともかく、そうではない「専門家」はなにをもって専門家たらしめているのでしょうか。今回はそのあたりを考えてみます。ホームセンターに行くと様々部材や道具が並んでいて、それらは専門...
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時間を源泉(?)で徴収してしまう。

年末ということで企業にお勤めの方なら年末調整が行われて、手元に源泉徴収票が配られている時期かもしれません。源泉徴収、別名「天引き」というこのシステムの破壊力たるやすごいものがあります。本来ならば、収入を計算し、そこから所得を導き出したうえで...
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思考習慣が変わったときがパラダイムシフト

習慣というと日々の「行い」というイメージがありますが、「思考」のクセというのもある種の習慣です。むしろ、こちらの方が成果に与える影響は大きいかもしれません。そうそも、行動習慣というのはどうやってみにつけるのかというと、何らかの意図、つまり思...
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長期休暇こそゆっくりと学ぶ機会。

今年もぼちぼち終わりということで、年末年始の休暇にはいる人も多いのではないでしょうか。帰省に行楽にと忙しい方々もいらしゃるでしょうが、こんなゆっくりできるときこそ学びなど有意義な活動もしておきたいところです。平日の日中は会社に拘束?されるサ...
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やっぱりストックよりフロー。

「最近の若い人は…」などと言い始めたら、筆者も歳なのかも知れませんが、統計的にも昨今の若年層は貯蓄に熱心なようです。将来の不安が消えぬ事から貯蓄に走るのでしょうが、果たしてそれで対処できるかは微妙なところです。 現代日本はなんだかんだ言って...
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気を抜いたときに出てくる素の自分が行うのは習慣化されたこと。

「我を忘れて」などというように、時に人間は自分自身に対してすら気がおよばなくなるようです。そんな時に出てくるのは素の自分なわけですが、それは習慣によってある程度きまってるのかもしれません。 朝起きてから家を出るまで、あるいは家に帰ってきてか...
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「主観」を大事にするもうひとつの理由。

先日のエントリ、「自分のことは自分が一番よく分かっている」?では、「主観」を「客観」に先立たせた方が幸せに生きられるのではないか?と結論づけました。今回は少し違う観点で理由を考えてみます。人間一人の持ちうる力など高がしれていますから、なにか...
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風邪やインフルエンザで失われる実質可処分時間

冬になり風邪が流行る季節となりました。「手洗い・うがいをし、インフルエンザや風邪を予防しましょう」なんて言われますが、確かにその通りで、風邪を侮ることなかれです。インフルエンザならましていわんやです。なにもここで、風邪をこじらせると…などと...
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人間は意外と欲望に対して無自覚?

人間というのは不思議なもので、欲望があることは自覚しつつもその欲望が具体的になにであるかを案外把握していなかったりします。いわゆる三大欲求はともかくとして、それよりも高次の欲求となるとかなりあやふやです。 食欲とて場合によってはあやしいもの...