お金で時間を買うことはできても、歴史は買えない。

思考

日々の活動に必要なリソースのうち、貯めることも出来なければ借りることも出来ないのが「時間」です。貧富の差に関係なく1日24時間は平等です。ただし、金銭的に余裕があればある程度は時間を購入することは可能です。

例えば、家事の代行サービスやクリーニング店を活用すると家事で消費される時間を買うことができます。あるいは外食・中食であれば自炊に必要な時間を買うことができます。家賃が高くとも職場の近くに住めば通勤時間を買うことが出来ます。

このように金銭的な余裕があれば、お金を払うことで消費される時間を買い取り、より自分が注力したい活動に使うことができます。これは個人の例ですが、企業ではM&Aがその手段として使われるようです。典型的なのは技術を買う例であり、有望な技術を持っている会社を買収し、新技術の開発期間という時間を買うのです。

個人でも企業でも、時間を買うという行為はそこかしこで行われていますが、時間と似ているにもかかわらず買えないものもあります。

それは歴史です。他人に仕事を依頼することで仕事の成果は手に入りますが、その間のプロセス自体は手に入りません。歴史とはプロセスを言語化した一形態であり、時間の積み重ねです。上述の「時間を買う」というのも創出に時間のかかる成果を買っているわけであって、その間のプロセスは買えていません。

その証拠に家事の代行サービスを使えば家はキレイになるかもしれませんが、家事をする能力があがることはありません。M&Aにより技術は手に入るかもしれませんが、主要な技術者が退職すれば継続的に技術を開発する力は残りません。創業100年の会社を買収したとしても、自社の創業が100年前になるわけではないので、100年分の歴史は手に入りません。

逆に言うと、個人であれ企業であれ、それこそが参入障壁となり得ます。何十年も前から習慣的に何かをやっている人にはその分野ではかないません。それは単なる能力というよりは「継続」という時間の積み重ねなしにはできない壁が存在するからです。

それこそが歴史の壁となるのです。

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