生活が苦しくなったからといって自己投資額を絞るのは本末転倒。

ほぼエッセイ

アベノミクス効果で株価は上がっていますし、大企業の業績は好調なところも多いようですが、消費者にはその恩恵がまだ及んでいないようです。実際、個人の消費支出は消費税の増税後は前年割れが続いているようです。つまり、何らかの節約を行っていると考えられます。

節約となると、「お父さんのお小遣い」が真っ先に減らされるとか、細かいところで節約したのにリバウンドで衝動買いしてしまうとか、いろいろネタになる話はあるのですが、今回は自己投資にスポットをあてます。

よく「教育費は聖域」と言われて、家計が苦しい中でも子どもの教育にかけるお金だけは減らさないという家庭は多いようです。それはおそらく経済的にも正しくて、教育にかけるお金は「消費」ではなく「投資」だからです。長期スパンでみたときに「投資」を削るよりも「浪費」と「消費」を削る方がよいのは明らかなので、『我が子のため』という動機であってもその行動はよい結果を生むはずです。

問題は、自分への投資を削っていないか?です。「自己投資」とはまさに自分への投資ですが、「投資」である以上なんらかのリターンを期待しているはずです。それが金銭的なものな場合もあればそうでない場合もあるでしょうし、短期的にリターンを見込んでいる場合もあれば長期的なこともあるでしょう。しかし、いずれにしても投下した「元本」以上に価値のあるリターンを期待しているはずです。

もし、その自己投資が期待するROI(投資収益率)をたたき出すと信じているのならば、「浪費」や「消費」をギリギリまで削って「投資」するはずです。なぜなら、確実に将来利息が付いて返ってくるという(少なくとも本人には)確信があるからです。(繰り返しますが、それが金銭的リターンかは別問題です。)

節約を迫られたときに自己投資を削る行為は、実はそれが投資ではなかったか、投資に見合うROIを信じることができないか、投資の意味を理解していなかったということになるでしょう。

自己投資は最悪の場合でもリターンがゼロであり、そのときは「消費」だったと捉えればよいだけのことです。マイナスになり借金を背負うことはないので、自分という「自己資本」を信じる限りにおいてはもっとも確実な投資対象なはずなのです。

まぁ、そんな理屈をこねてお金を投下し続ける筆者なのですが、、、。

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