難解な古典を読む時間を投資して、抽象空間を広げる。

思考

最近の本は読みやすさ重視なのか、厚さの割に文字密度が低かったり、名著がマンガ化されていたりとあの手この手で読書のハードルを下げているように見えます。とっつきやすさという点ではそういった本はいいのですが、古典のような難解な本にも取り組んでおきたいところです。

難解なのにもかかわらず現代まで読み継がれている古典というのは、そこに何かしら普遍の真実が書かれているからでしょう。日々多くの本が出版されるなかでも、淘汰されず生き残っているのには読むべきものがあるからなのは間違いないと思われます。

そういった古典がなぜ難解なのかといえば、抽象的な表現が多いからではないでしょうか。言葉遣いが難しいという場合もあるでしょうが、多くの場合は抽象的な表現が多いがゆえ挫折する人が後を絶たないのでしょう。

しかし、血肉となる読書をするのであればこの抽象的な表現を避けて通ることはできません。具体個別な事象・テクニックは汎用性に欠け、時代の変遷についていけません。抽象的だからこそ時代を超えて適用可能なのです。

難解な古典というのは当然ながら読むのに時間がかかります。まして血肉となるように精読する時間を考えると流行の本が何十冊も読めてしまうかもしれません。しかし、リターンの大きさを考えると読むべきは難解な古典になるでしょう。その抽象的な内容を血肉とすれば、自らの抽象空間を拡張することが可能だからです。

具体の世界に比べ遙かに汎用性が高く、高速思考が可能な空間を広げるのにはおおきな意味があります。それは結果として課題解決にかかる思考時間の短縮となって余剰時間というリソースをもたらしてくれるやもしれません。(知識労働者に与えられている特権。抽象の世界を高速移動する。

というわけで、古典も読まねば、、、。

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