「主観」を大事にするもうひとつの理由。

ほぼエッセイ

先日のエントリ、「自分のことは自分が一番よく分かっている」?では、「主観」を「客観」に先立たせた方が幸せに生きられるのではないか?と結論づけました。今回は少し違う観点で理由を考えてみます。

人間一人の持ちうる力など高がしれていますから、なにか大きな事を成し遂げようとしたならば、他人の協力をえるほかありません。総理大臣にも側近が必要ですし、大企業も多くの従業員がいるから利益をあげることが出来るのです。

他人の協力をえるという必要性を考えると「客観」として自分がどういう人間であるかを把握しておくのは重要です。他者による評価と自己評価に大きな乖離があれば、コミュニケーション上の問題も発生しますし、相互理解が得られず早晩その関係は破綻するでしょう。

それでもなお、「主観」が先立つだろうという筆者の結論は変わりません。他者の協力を必要とするのは二歩目以降であり、はじめの一歩は当人が踏み出す必要があるからです。

本人になんのやる気もないのに、全てをお膳立てして一歩目を踏み出せるよう背中まで押してくれるほど世の中は甘くないでしょう。皆が皆そんな状態ではそもそも背中を押す人間が存在し得ないので矛盾します。

よって、どの方向に動くかを考え、実際に一歩目を踏み出すのは自分ですが、そのときに使われるのは「主観」です。どの方向にいけばうまくいきそうか?どんな一歩を踏み出すのが自分にあっているのか?は自分がどんな人間であるかを「主観」の世界で考えることになります。

そうやって動き始めたところで、他者にどう見られているかという「客観」が問題になります。もちろん、そこで応援してもらえるような人柄でなければダメなのですが、逆にどんなに他人から「あなたには才能がある」と思われていても、当人が「自分には能力がない」と信じていたらおそらく行動を起こすことはないでしょう。

逆に、「客観」としては「彼(彼女)はちょっとどうなんだろう、、」と見えたとしても、本人が「自分(私)は出来ます!がんばります!!」と根拠なき自信に満ちあふれているほうがむしろ成功しそうです。

そんなわけで、「主観」として自分をよく理解し、自らをモチベートすることが大切なのではないでしょうか。

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