学びの場においては、場の熱量も大事。

ほぼエッセイ

近年は朝活がはやるなど、社会人も積極的に学ぶことが多いようです。勉強会やセミナーといったものも沢山存在し、個人がそういったものに参加するのも珍しくはありません。

ひとくちにセミナーといっても、セミナーの内容も玉石混淆ならば、お値段の方も玉石混淆です。無料セミナーもあれば、はては数百万という超高額?セミナーもあったりします。

セミナーの開催・運営および講師の人件費を考えたときに無料セミナーや千円・二千円のセミナーは(時間・人数にもよりますが)それ単体では主催者の収益源にならないことがほとんどでしょう。

となると、セミナーは何かの導入に使われており、そのバックに何らかの真の商品があると考えるのが自然です。

一方で、同じ講師・コンテンツのセミナーであっても時にお値段が違うこともあります。それはスポンサーがついていたり、その他の諸事情があってのことでしょうが、こういったセミナーは一見すると割安にみえるのでお得なような気もします。が、果たしてそうでしょうか?

独学の場合は例外ですが、学ぶ場において重要なのは一緒に学ぶ同志の存在です。その人々の志が高いほどに「場」の熱量はあがります。人間というのは影響されやすい生き物ですから、場の熱量が高ければ自分も自然と熱量が高まるというものです。

そして、そこに集まる同志というのはセミナーに参加するために同じ金額を支払っているはずであり、それだけ学びたいという心意気を持っているということです。

これはある意味でのフィルターとして働くでしょう。もちろん、人それぞれ資金の余裕度には違いがあるでしょうから一概には言えませんが、安いセミナーにしか参加しない人と高額セミナーにも参加する人では、発している熱量が違う可能性はおおいにあります。

そして、それは「場」の熱量に直結します。割安なセミナーだからといって、志が低いとは限らないということは承知しつつも、そういう側面がもしかしたらあるかも知れない、ということは頭にとめておいてもいいかもしれませんね。

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