あえて「根拠」のない状態を作り出してみる?

ほぼエッセイ

なにかを主張するとき、往々にして求められるのがその「根拠」です。主張を受ける方とすれば、結論だけ渡されても困るわけで、その結論が信頼にあたいするかを確認できるよう「根拠」が知りたいところです。そんなわけで、基本的には「根拠」は必須なのですが、これがない場合を考えてみます。

「根拠」がない場合には、当人の主張は妥当性を大きく損ないます。それもそのはず、「なんで?」と言われたときに「なんとなく…」のような展開になってしまうのですからあたり前です。

とはいえ、ときどき「根拠のない」自信を持った人間や、「根拠もないのに」自信満々でなにかを主張する人というのがいます。こういう人に対する世間一般の反応は、「口ばっかり」とか「ホラ吹き」とかいうことになるのかもしれません。

しかし、実は当の本人は大まじめでホラを吹いているのかもしれません。つまり、根拠はないが自信だけはたっぷりあるという状況です。根拠のない状態のというのは一見もろいようにも見えますが、考えようによってはこの上なく強固ともいえます。

「根拠」が存在している場合、その「根拠」が成立しないことを示せれば主張自体を論駁することが可能です。一方で、「根拠」がない場合には、そもそも全く論理的でないので、論駁が実質不可能なのです。

したがって、「根拠」を失ってしまうというリスクがない分だけ、強固ともいえるわけです。なんとも逆説的ですが…。

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