自分の見えている世界というのは井の中に過ぎない。

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人間というのはついつい自分の常識が世間でも常識だと思いがちなようです。そうと分かっている人ですら、実際ほどにはそれを体感できていないやもしれません。

職業によっても変わるでしょうが、日頃暮らしている中で接する人間というのは数十人から数百人で、それらのコミュニティの人口の総和は高々数万人といったところでしょうか。仮にこれが1万人だったとして、日本の人口とくらべれば一万分の一です。10万人だったとしても千分の一です。

つまり、普段暮らしている世界というのは数多あるコミュニティ群の1%にも満たない小さな世界なのです。その外側には自分が見ている世界の千倍から一万倍の広さの世界があると思って相違ないでしょう。もちろん、これは日本の人口で換算した数字ですから、世界レベルで見たらもっと広大な世界が広がっているはずです。

「自分の常識は他人の非常識」とはよく言ったものですが、確かに前述ような世界の広がりがあるならば、この言葉は非常に的を射た表現です。

この現実はいろいろな事を示唆しているように思えますが、ひとつあげるならば、自分がいま住んでいるコミュニティよりも遙かに価値貢献できるコミュニティが存在するかもしれない、ということです。あるいは、今いるコミュニティの常識的な知識を非常に価値のあるものと評価してくれるコミュニティが存在する可能性がある、といってもいいでしょう。

そう考えると、少し世界が広がって見えるかもしれません。

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