なぜ語彙が必要か? 〜語彙力=表現の数とわかりやすさの関係〜

ほぼエッセイ

よく、「ビジネス文書は平易な言葉で書け」と言われます。小難しい表現を使って伝わらなかったら元も子もないからです。そうすると、そう多くの語彙力(表現)は必要ないように思えますが、果たしてどうでしょうか?

例えば、あるAという事柄について説明したいとします。すると、

Aとは、例えばA1だったりA2のことです。これはB1やB2に代表されるBとは全く逆の関係であり、どちらかというとCとDの中間のようなものです。別な表現をするとEともいえます。

という説明文を作ることが出来ます。もちろん、この時に文章の作者はA〜Eの全てを知っている必要があります。さらに、ここでは具体例(添字付きのAやB)を4つ上げていますが、それだけの具体的事例を知っている必要もあります。

では、この場合Aが伝わるために必要な、読者に必要な語彙力はどの程度でしょうか?

最も正確な理解が出来るのはすべてを知っているときに間違いはありませんが、それ以外のケースで伝わらないかというとそうではありません。

A1とA2を知っていれば、なんとなくAが何を指すのかは想像が付くでしょう。さらにEを知っていれば、「A1、A2が具体例で、Eと等しい」のがAだと理解できます。

あるいは、抽象思考の能力が非常に高いとき、具体例は一つも知らぬとも理解できるかも知れません。「Bと逆で、C・Dの中間であり、Eに等しい」でAが表現できているからです。

最悪の場合、Bを知っているとか、Eを知っていれば、なんとかAは伝わる可能性があります。

もちろん、知っている数が少ないほどに誤解の可能性も高くなるので、作者の意図が忠実に伝わっているかはわかりません。しかし、そもそも文章自体が作者の思考を一部言語化したに過ぎないので、B〜Eの全てを知っていたとしても、作者の捉えているAを100%完全に理解できるなどと言うことはないわけです。

コミュニケーションにおいて100伝えようとして、100伝わることなどありえなません。となると、あとはその歩留まりの期待値をどの程度として発信するかです。発信するときには必ず伝えたい核となる部分(=A)があるはずなので、そこが少しでも多く伝わればよいと考えるならば、上記の文章はそれなりに多くの人にAの雰囲気ぐらいは伝わることでしょう。

どんな表現が理解しやすいかは、読者の持つ語彙力や経験などに左右されます。したがって、様々なバックグランドを持つ人に理解してもらうためには、非常にたくさんの表現を知っている必要があるのです。

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