ITエンジニアが論理的に/ロジックでいろいろ考えてみるblog 進化途中なのでいわゆるβ版。

ヒューリスティックの罠にかからぬよう仮説検証を繰り返す。

2014.08.28

人は五感で感じられる情報を知覚し、物事を判断しています。しかし、ときに事象を捉えているだけであって背後にある構造が見えていないことがあります。あるいは見えた気になっていることがあります。ヒューリスティックの罠です。

たとえば、「さいころの目として6がでた」とというは事象です。では、この背後にある構造とは何でしょうか。さいころなのだから、六分の一の確率で「6」がでるのだ、と判断したのならそれは早計です。さいころが六面体であるという情報はまだ示されていません。二十一面体のさいころかもしれません。あるいは、六面体のさいころではあるが重心に著しい偏りがあるかもしれません。

これは少々極端な例であり、また意地の悪い事例でもあります。とはいえ、これに類する出来事は世の中のあちこちに存在していることには注意が必要です。

ヒューリスティック(発見的)に物事を考えるのは悪いことではありません。日常で目にする様々な出来事を逐一厳密に判断していたらいくらあっても時間が足りません。それに、たいていのことは経験的な判断、つまりヒューリスティックで対処して問題はありません。

ただし、常に「ヒューリスティックの罠にかかっていないか?」には注意すべきです。

ヒューリスティックが導くのは、おおむね正しそうな考えです。時に本当の正解に到達しないこともあります。つまり、ヒューリスティックに導き出した答えは「仮説」と捉え、「検証」をするという態度が求められます。

生きていれば、毎時毎秒、判断を強いられます。そのためにはヒューリスティックに物事を捉えて判断せざるを得ません。しかし、常にその判断は「仮説」に基づいた仮の判断であり、「検証」によって新たな答えが見えたのなら判断を改めることも必要でしょう。

時にそういった態度は、「ころころと判断を変える人間だ」という評価をされることもあるやもしれません。しかし、そう判断した人間は事象しか見えておらず、その背後にある構造を知らないといえます。

この場合、常に仮説と検証を繰り返し最善の解を探すという態度が一貫性を持っているのです。つまり、背後に存在する構造にブレはないのです。

これもある種、ヒューリスティックの罠と言えましょう。物事、特に人を判断するときは、ゆめゆめ気をつけなければなりませんね。


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