うまい講師は何が違うのか? ここでも抽象化能力がキモ。

ほぼエッセイ

義務教育に始まり、高等教育へ進み、さらに社会人になってからも各種の研修や勉強会。いまの時代は学ぶ機会は山ほどあります。知識労働の時代には学び続ける必要があるわけですが、それだけに誰に教わるかというのは重要な問題です。

物事を教えてくれる人(いわゆる講師)はたくさんいますが、よく「あの人の話はわかりやすい」とか「あの人の話はわかった気になるだけ」なんて会話がなされます。資格など試験に直結することを教える人は、それが試験の結果に直に反映されるだけに「わかりやすさ」を問われやすい気がします。

では、「わかりやすさ」とは一体何なのか?

端的に言えば、「いかに再現性高く教えているか」と言えるでしょう。教えてもらっても分からない話もあれば、分かった気にはなるけど自分では出来ない話もあります。そして、ちゃんと自分でも出来るようになる話もあります。もちろん、「わかる」ことと「できる」ことには隔たりはあります。その上で、分かりつつ、しかも「できる」可能性も高いことを再現性が高いと表現しています。

再現性を高めてくれる講師というのは、具体的な事例を通して抽象的な枠組みを伝授する能力が高いと考えられます。例えば、ある問題の解き方教わった場合に、その問題だけ解けるようになるのか、類似の問題も解けるようになるかの違いは、より抽象化された「問題に対する取り組み方」も一緒に教えてもらえているかがポイントになります。その最たるは数学の公式なわけですが、なんであれ目の前の事象を抽象化して捉え一般化された解法を適用する、というのが問題に対する基本的な態度です。

そう考えると、「わかる」と「できる」にある隔たりの他に、「教える」との間にある隔たりはこの抽象度の違いによるものかもしれません。

つまるところ、教える能力が高い人ほどより高い抽象の世界から具体を見下ろしていることでしょう。

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