相対する立場になって分かること、あるいは分かろうとすること。

ほぼエッセイ

人は必ず誰かと関わって生きていきます。その関係は様々ですが、二項対立となるような関係も多々あります。親と子、上司と部下、先生と生徒、客と店員、などなど。

このような二項対立となる関係にあるとき、往々にして相手の立場から物事を見るというのは難しいものです。なぜ相手はこんなにも物わかりが悪いのか?などと相手を非難することはあっても、よもや相手も同じことを思っているなどとはなかなか考えつかないのです。

それがひとたび立場が逆転し、実際に対立する立場に立ってみると見え方が変わります。例えば、今までは店員の対応に不満を持っていたとしても、自分が接客をする立場になれば接客をする人間の気持ちが分かります。教わる側から教える側に回れば、教える側の気持ちが分かります。

「理解してから理解される」というのは名著「7つの習慣」に出てくる第5の習慣です。自分のことを理解して欲しければ、まずは相手を理解しなければなりません。しかし、二項対立となる関係の場合はこれが非常に難しいのです。にもかかわらず、そういう関係の時こそ、相互理解をはかり共通の利益を導き出すことが重要だったりもします。

その立場を理解するのであれば、相手と同じ立場を経験するのが早道です。しかし、必ずしもそれが可能とは限りません。そのような時でもせめて、理解しようとする努力は怠らないようにしたいものです。

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