相変わらず発言者の意見と人格を分けるのが下手なようで…。

ほぼエッセイ

そういえば、都議会でセクハラ野次が飛んだことで世間はだいぶ賑わった模様ですね。以下、セクハラ野次の内容の如何や野次を飛ばした・受けた議員の経歴等々はさておきます。

本件は「議員が議論の仕方を知らない」ことを露呈した事象と言えましょう。

野次が飛ぶこと自体は国会でもあるようで、実際に国会中継でも野次が飛んでいるので議会で野次が飛ぶことは普通なのでしょう。野次そのものがたいてい品がないので、議員の発言としてどうか?という点もさることながら、議会の場では議員にはちゃんと議論をしていただきたいものです。

議論で重要なのは、意見であって、発言者の人格ではありません。更に言えば、発言者の人格に踏み込んだ反論や批評はもってのほかです。議論の場は意見を戦わせることによって問題解決への道筋を考える場所であって、発言者の人格をとやかく言う場ではないのです。

意見と発言者の人格の分離があってまともな議論になるはずなのですが、どうやらこの国ではそうはならないことの方が多いようです。総理大臣の発言だからとか、社長の発言だからとか、そういうのは意見の妥当性とは関係のないことです。同様に、老若男女どんな議員の発言であれ、その妥当性を論じるべきであって、発言者の人格に基づく野次を飛ばすのは議論ではありません。

庶民の代表として税金をつかって議論をしているのですから、その辺は理解して議論していただきたいものです…。

タイトルとURLをコピーしました