狭義のDRMよりも広義のDRMのほうがよいのでは。

未分類

音楽も映像もデジタル全盛な昨今、デジタル化に際してときには物議をかもしつつ、ときにはしれっと導入されるのがDRMです。DRMはDigital Rights Managementの略ですが、今回は狭義のDRMであるコピーコントロール技術について。

一般の消費者がDRMを意識し始めたのはCCCDと呼ばれるコピーコントロールCDが登場した頃からでしょうか。筆者がデジタルデータのコピーコントロールをはじめて意識したのはMDに遡ります。MDはCD⇒MDへのコピーはデジタルですが、そこから先のMD⇒MDは転送路をアナログでしか繋げないようにコントロールされていました。MDという媒体の永続が当時どれほど保証されていたかは覚えていないですが、いまやMDそのものが風前の灯火であることを考えると、大量のMDを死蔵している消費者はそれなりにいることでしょう。

その後、映像もデジタル化ということでTVもデジタルになりました。そしてここでもDRMはしっかり導入されています。コピーワンスはさすがに利用者の不評を買ったこともありダビング10に変わりましたが、じつはこれも孫世代へのコピーができないという点ではMDと同じです。当blogでは幾度か取り上げているように、デジタルデータは永遠でもそれを記録する媒体には寿命があるのが現状ですから、孫世代のコピーを禁止することはすなわちデータの永続性を損なう行為に他なりません。

データの永続性が損なわれて一義的に被害を被るのはもちろん利用者たる消費者です。しかし、著作物というのが著作者が自分の表現を他者に伝えるものであることを考えれば、著作物の永続性が担保されないのは著作者にとっても損な話だと思うのです。

おそらく10年後、20年後には再生できなくなったDVDやBlu-rayを死蔵する消費者が多発する気がしてならないのですが、果たしてそれは著作者(権利者ではない)の望む形なのでしょうか。そして、なによりも多くの消費者がそのような未来が来ることを知らされぬままDRM付きのコンテンツを所有していることが気がかりです。

筆者としては今のような性悪説に基づく強制コントロールよりも、トレーサビリティを確保した広義のDRMを使う方が結果としてはよりよい未来になると思うのですが。

タイトルとURLをコピーしました