二次情報の割引率をどれぐらいにするべきか。

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情報を情報として使うのなら一次情報に限る、というのが基本的な筆者の考え方なのですが、二次情報以下をどれくらいの割引率で考えるかは難しいところです。

 

何をもって一次情報と定義するかはまた難しい問題ですが、自分で見たモノ・聞いたモノは少なくともその人にとっては一次情報にはなるでしょう。見たモノや聞いたモノがすでに著作物だった場合は必ずしも一次情報ではないこともあるのでまたややこしいですが。

情報の次数があがるとなぜいけないか?

編集や解釈が行われるからです。それらはほぼ間違いなくなんらかのバイアスをかけます。この行為を、ある関数にインプットをいれて出てきたアウトプットだとするならば、関数はたいていの場合一方向関数です。つまり情報に不可逆的な変化を与えます。(たいていというのは、コンピュータが情報加工する場合が例外にあたるからです)

人間には誰しも「自分の立場」や「自分の役割」という「ポジション」があるので、どうしてもポジショントークからは逃れることが出来ません。ポジショントークを自制していたとしても情報に変化が引き起こされるのは伝言ゲームをやってみればすぐわかることです。伝言ゲームでは誰も意図的に情報を改変しようとは思っていませんが、インプットとして入ってきた情報をアウトプットする間に「自分」という関数が入るので、情報は変化します。

人間というのは無意識のうちにないかを行う能力があるので、自分は入力をそのまま出力する関数だと思っていても、無意識のうちになにかを行う関数になっているのです。そして、自分がどういう関数かを完全に知ることが出来ないので一方向関数になってしまうのです。

そうなると、二次情報の信頼性は著しく劣ることになります。三次情報などになるともはや信用していいのか怪しいレベルになることもあるでしょう。

 

なお、枕詞に「情報を情報として使うのなら」とつけているのは、そうではないこともあるからです。アナリストや解説者の言葉は明らかに一次情報ではないものを含みますが、彼らの言葉は一次情報ではないことに意味があるからです。

 

P.S.

本文中に関数と書いてありますが、この関数は同じ入力を与えたら必ず同じ出力を返す関数ではありません。いうなれば副作用ありです。

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