ネット時代における有償の情報源の価値。

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インターネット上に無数に情報があふれている時代に、お金を払って情報を得ることに意味はあるのか?というテーマでお送りします。

 

筆者は経済系の週刊誌を2誌を定期購読しています。さらに先月から日経電子版も購読し始めました。ほとんど定期購読のように毎月買っている月刊誌もあったりと、お金を払って情報を買うことは多いです。

インターネットのある現代ではニュースはネット上でも見られますし、雑誌の記事などもオンライン記事として無料で読めることもあったりするので、わざわざお金を払うのはどうなんだ?と疑問視する向きもあるかもしれません。ただ、筆者はネット時代だからこそむしろ有償の情報源に価値を見いだしています。

もちろんインターネット上の情報の恩恵は十分に受けていますし、その価値を否定するつもりはありません。しかしインターネット上の情報には欠点があります。あまりに玉石混交すぎるのです。大手のニュースサイトから、筆者のような個人のblogまでネット上ではある意味では皆が等しい存在です。そして、絶対数としては毒にも薬にもならないような情報が大量にインターネットという空間には存在しているはずです。普段我々がネット上にはわりと有益な情報が存在しているように感じるのは、ひとえに検索エンジンのおかげです。検索エンジンがキーワードに応じて有用だと思われるサイトだけを上位にピックアップしてくれるので、あまり意味のない情報を目にすることがないだけです。最近では、SNSなどの力も加わって人間がある程度選別した情報がピックアップされていくという傾向もあるかとは思います。

それでも、やはり粒度にばらつきがあったり、論調に一定のバイアスがかかっているなど気をつけるべき点は残ります。特に、バイアスについてはどの程度バイアスがかかっているかを判断しづらいことがあるのが難点です。その点でいうと、有償の情報源というのは「編集者」の存在がはっきりしていますから、どの程度の粒度の情報をどの程度バイアスをかけて掲載してくるかは想定できます。つまり、情報のフィルタリング装置としての役目を果たすのです。誌面には限りがありますから、相当程度重要だと思われる情報しか載らないですし、編集方針があるでしょうから論調も基本的には整います。したがって情報の取捨選択があらかじめ行われた状態で情報が入手できるのです。

情報があふれかえっていて取捨選択に時間のかかる現代において、時間という貴重なリソースを節約できる有償情報源の存在はやはりそれなりに大きいと思うのです。

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