意図的にマンネリし、意図的にマンネリを打破する。

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またタイトルを逆説的なものにしてしまいました。マンネリをどう考えるかというテーマです。

 

今週はマンネリを打破する行動を多めにとっている筆者なのですが、一方で大いにマンネリを作り出すべきだとも考えています。なにがいいたいかというと、マンネリの善し悪しは時と場合によるということです。

たとえば、朝起きてから出勤するまでの一連の行動を毎日のように変えていてはあまりに非効率です。あるいは、ルーチンな業務の順番ややり方を毎日変えたり考えながら仕事をしていては時間ばかりがすぎて成果があがりません。そういう定期的に必要で避けがたいものに関しては大いにマンネリさせてしまうべきだと思うのです。もっといえば、システマチックなやり方で効率化したり、果てはオートメーション化によって勝手にまわるようにするのが理想です。そして、頭を使わずとも勝手に流れるようにしてしまう。そうすることでより生産的な活動に労力を振り向けるのです。

したがって、ルーチンな部分はおおいにマンネリさせてしまうべきでしょう。

 

一方で、マンネリした生活では新たなものが生まれてこないのもまた事実です。将来に成果を生むためには、マンネリを打破する行動が必要です。日常業務の中や日常生活の中だけで新たな成果を生むのはなかなかに難しいものです。おそらく、成果を生むためのヒントはそこかしこに転がっているのでしょうが、マンネリの中ではおそらくそれに気づけない。したがって、そこは意図的に非日常の世界に身を投じる必要があるでしょう。経験則として、非日常に身を投じると新たなインスピレーションが生まれる機会は格段に増えるように思います。場合によっては、非日常の経験がしばらく熟成されたのちに新たな発見や気づきが得られることもあります。ゆえに短期的にメリットがあるとは思えなくても、非日常に身を投じることはマンネリを打破するためには有益だと思います。

 

マンネリしつつもマンネリしないという絶妙なバランス感覚が、変容し続けつつも楽ちんに生きるためにはひつようなのではないか?そんな風に思うのです。

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