統合されたクローズな世界と、混沌としたオープンな世界。

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私事ですが、ついにMacデビューしました。

iPhoneを持って、iPadを持って、PCだけはWindowsできたのですが、iOSとの親和性をとるのならばやはりMacだろうと。などというと、Apple信者だねぇという声が聞こえてきそうなんですが、まぁここまでくると否定はできないかもしれないですね。ただ、盲目的に信じているわけでもなく。コンピュータという世界のプラットフォームをどのようにとらえるかという問題です。
おそらく、学生時代だったらもう少し悩んだかもしれません。自作PCユーザでもある筆者はずっと、Macは自作ができないから、という理由で避けてきました。OSそのものとしてはUNIXたるMacの方がITエンジニアとしては適していると知りながら。自作ができないということは、ハードとソフトが一体化されたクローズな世界ということです。クローズな世界には独裁色がつきものなので、自由を奪われるのがいやで避けてきたというのもあります。だから、メインのPCをLinuxにしていた時期もありました。
そんな筆者が、ついにMacのクローズな世界に飛び込んだのにも、それなりには理由があります。
もちろん、他のiOSデバイスとの親和性を重視したというのもひとつではあります。ただ、それと同時にPCというものを知的生産性向上の「ツール」という割り切り方をし始めたというのも大きな理由です。Linuxの世界はOSSで構成されているのでもちろんそこには自由がありますし、Windowsはハード構成を柔軟に変更できたり莫大な数のアプリケーションから選択が行えるというある種、オープンな世界です。オープンな世界では、その世界を構成すること自体に楽しみを見いだす分にはこの上なくよい環境です。極限までカスタマイズを加えて完全に「オレ様仕様」な環境を構築することもできます。ただ、そこまでの道のりが長いのです。試行錯誤の連続ですから時間がかかります。
その点、クローズな世界というのはすでに統治者が存在しているので統合された世界でもあります。統治権を委ねてしまうことによって、自由は制限される代わりに「楽ちん」ができるのです。制限される自由が欠くこのできない部分に関わるのであればそれは受け入れがたいですが、そうでなければ検討の余地は十分にあるでしょう。そもそも、自分はその世界で何を行いたいのか?統治者として環境を構築する自由を手にすることも目的なのか、あるいは環境は成果を出すための手段に過ぎないのか。それによっても選ぶべき世界は変わってくるでしょう。
筆者の場合、それが年々後者に移ってきたということです。ゆえに、より成果をだす環境が登場したり、成果を出すための環境がより簡単に構築できるあらたなプラットフォームが登場すれば、おそらくそこに乗り換えることでしょう。ただ、いまのところ、次なるプラットフォームの兆しは見えていませんが。
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