やっぱり一億総中流でないと困るわけ。スマホは中流以下が対象だよ。

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日本では昭和の後半期は「一億層中流」という単語が流行ったとか。それが今は格差社会。もう一度中流を増やそうという動きもあるようですが、なぜそうなることが必要なのかを電機・IT業界の観点から考えてみます。

 

例えば、いまは猫も杓子もスマートフォンといった感じで、「スマートフォン便利!」・「スマートフォンで仕事の効率化を!」というのがある種のセールストークになっています。もちろん、筆者もスマートフォンの愛用者です。それこそ、QWERTYキーボードがついたスマートフォンの時代から使っています。ゆえに、スマートフォンが便利であることに特に異論はありません。もはやインターネットとスマートフォンなしではいまの生活レベルは維持できないかも…と思うくらい。ただ、これが最も効くのは中流の人々なのです。

 

では、VIPな上流階級の人はスマートフォンがないと生きていけないのでしょうか?

おそらく、VIPな人はほとんど影響を受けません。なぜなら、スマートフォンでやるような事をやってくれる人を雇うことができるから。例えば秘書がついているような立場の人であれば、スケジュール管理は自分でする必要はありません。移動に関することも秘書が手配するので乗り換え検索アプリもいりません。運転手がついていればカーナビアプリもいりません。調べ物も秘書に頼めばいいでしょうし、日々の記録を秘書に頼むことも出来るでしょう。

つまり、iPhoneやAndroidで「必須」と言われているようなアプリがことごとく無くても結構やっていけるのです。

 

さて、そう考えるとそもそもスマートフォンとはどういう存在なのか?という疑問が生じます。

結論を言えば、中流以下の人々のためのものです。そしてこの類いの話は、別にスマートフォンが初めてではないことにも気づきます。

電化製品がその代表格でしょう。三種の神器のひとつと言われた洗濯機や炊飯器、掃除機などの生活家電はどれも当時の主婦の負担を軽くするということで重宝されました。もちろんそれはいまもです。とはいえ、これらはすべて専門のサービス事業者がいるのもまた事実です。つまり、上流階級の人は当時は家政婦さんを雇うなどしてそういった家事はすませていたでしょうから、生活家電に恩恵を受けたのは中流世帯の主婦だったはずです。

スマートフォンが変えるのも基本的には中流の人々の生活です。いままで不便だったことや、効率の悪かったことを解決する手段として活躍してくれるわけです。もちろん上流階級の人はすでにアウトソーシング済みの事が多いでしょうからそれほど重要視されません。

そうなってくると、やはり新しい技術や製品が伸びる背景には中流層の存在が必要なのではないか?と感じるのです。便利になるから、というのは消費行動を誘引する動機の一つとして重要です。となると、その恩恵が大きくなる中流層が多いことは市場の活性化に非常に重要なのではないでしょうか。

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