(続)アンチ定量化。金銭という定量表現さえ評価軸として使いこなせてないのでは?

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書く前はネタに困るくせに、書き始めるとわらわら書きたいことが出てきて1エントリに収まらなくなる癖がある筆者でございます笑。

昨日の記事では「お金」という価値観についてあまり深く語れなかったので続編です。

 

結局何が言いたいかというと、

一次元への定量化を適切に行うことは難しいのに、ひとたび定量化された数値を見るとそれに価値判断を委ねすぎじゃね?

ということ。

 

昨日のエントリについて、facebook経由でも「金銭価値が定量化できるとは思わない」というコメントも頂きましたが、その通りだと思います。

例えば、少し前のクレジットカードのCMで「~な思い出。プライスレス」みたいなフレーズありましたが、これとかどう金銭価値に落とし込むのかと。プライスレスって「値段がつけられないほど貴重」っていう意味なのに、金銭価値に落とし込めたら矛盾してるじゃんねと。

あるいは、IT系のサイト見てるとよく目にする「あなたの年収はチェック!」とかも。そもそも人間の価値を年収ではかることの方がばかげているのに、なぜか人間を「市場価値」という軸に落とし込むことで、年収という金銭価値で比較可能にする。そして、さも年収がその人の価値であるかのようなあおり方をする。その定量化が正しいのかもわからないままに。

確かに、この世が資本主義しか価値観が存在しなければ、金持ち=偉いでいいとは思いますが、あいにく資本主義が崩壊しつつあるのが現実なわけで。

 

高校生までなら偏差値という数字で価値をはかろうとするし、大学生は取得単位数だったり内定取得数だったりではかろうとするし、就職したら年収ではかろうとするし。確かに心理学的には人間は他者との相対比較でしか自分の幸福度を決められないという悲しい性を持っているようなんですが、もう少しそこから脱却する試みが行われても良さそうに思います。

 

人間は多次元を容易に理解するようには作られていないので、定量化によって一次元に落とし込みたくなる気持ちは分からなくはありません。また、それによる恩恵も相応にはあることでしょう。とはいえ、ダイバーシティ(多様性)とか唱えてみるのであれば、多次元の難しい世界へも飛び込んで行かねばならないと思うわけです。

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