抽象度。

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最近は、他の人と見えているモノが違うのかも知れないと感じることが多いです。もちろん、同じモノを見ているのですが、そこに対するとらえ方や解釈が違うのです。

人は立場が変わると、同じモノをみても解釈は変わります。それは、何に重きを置いているかが違うからです。たとえば、一国の総理大臣と輸出系の企業経営者と、いまから海外旅行に行こうとしている庶民では「円高」にたいして感じることは違うでしょう。輸出系の企業にとっては円高は大打撃でしょうが、海外旅行に行く人にとってみれば非常に恵まれている状況になります。
さて、このように立場の違いが解釈の違いを生むこともありますが、視点のレイヤーの違いが見ているモノの解釈を変えることもあります。端的な例をあげれば企業の社長と現場の職員では同じ組織で同じ理念を共有していたとしても問題意識をもつ場所は違います。これいは、どの程度抽象化されたレイヤーでモノを見るかということととも言えるかも知れません。ヒエラルキーの上に行くほど物事をある程度抽象的にとらえる必要が生じます。(あるいは抽象的にしかとらえられなくなるのかもしれませんが。)
このような環境において、視点の抽象度を自在にコントロール出来る人間のことを、コミュニケーション能力のある人間というかもしれない。そのような新しい解釈を感じた3月の夜です。

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